iPhoneのケース買いました

iPhone3GからのiPhoneユーザーなのですが、初めて装着型のケース買いました。

毎日毎日ペンギンと共に生活が出来るというのがいいですね。

みなさんもこれを買ってペンギンライフを楽しみましょう

今期のアニメはガールズ&パンツァーがいいです。戦車道っていう授業をやってる女の子達のお話なんですが

何がいいって戦車が街の中を走ってるのに「戦車だ〜」「戦車道復活したんだ〜」っていう感じで

戦車を兵器として見てないんですよね なんなんでしょうこれ。1話を見てないのでよく分からないです

というわけでこの土台に戦車の模型を被せたら僕も戦車道を嗜めそうなんですが、やはり有線ではなく無線にしたいので

XBee赤外線リモコンで戦車を作りたいです

あとは、ストリートファイターに使うアーケードスティックの修理もしたいです

今月は秋葉原にお世話になりそうですよ

おわりです

毛玉とったよ

スポンジでセーターを撫でると毛玉がとれるらしいので、実際にやってみましたよ

汚いフリースパーカーがこんな感じになります。

これは去年のユニクロのフリースパーカーなんですが、今年はこれと同じフリースパーカーが出てなくて残念です。

スポンジにたくさん毛玉がついて大成功!と思いきや、スポンジについた毛玉をとらないといけないので怠いです

そこそこ綺麗になったので満足ですが、生地が傷むので大事なお洋服ではやらないようにしましょう。

最近は忙しくて自分の考えをまとめられなかったりするので、こういう日記的なブログ記事を書いてみましたよ。

そろそろサーバーを借りてそこにブログを置きたいですね

おわりです

書評 : 思考の整理学

僕がこのブログを始めようと思ったきっかけでもある本です

もっとも、本書にはブログのブの字も出てこないんですがね

以下、目次

 

Ⅰ グライダー

  不幸な逆説

  朝飯前

Ⅱ 醗酵

  寝させる

  カクテル

  エディターシップ

  触媒

  アナロジー

  セレンディピティ

Ⅲ 情報のメタ化

  スクラップ

  カード・ノート

  つんどく法

  手帖とノート

  メタ・ノート

Ⅳ 整理

  忘却のさまざま

  時の試練

  すてる

  とにかく書いてみる

  テーマと題名

  ホメテヤラネバ

Ⅴ しゃべる

  談笑の間

  垣根を越えて

  三上・三中

  知恵

  ことわざの世界

Ⅵ 第一次的現実

  既知・未知

  拡散と収斂

  コンピューター

あとがき

文庫本のあとがきにかえて

 

目次を見てもなんじゃこりゃ

なぜなら、ほとんど名詞と接続詞しか使われていない。

この意図については論文を例にあげて、説明していると解釈できる。

Ⅳ テーマと題名 p140

こまかい但し書きがついていると、その論文が何をのべようとしたものかの検討がついて便利ではある。同時に、あまり手のうちを見せてしまうと、かえって興味をそそられることがすくなくなるというマイナスもないではない。

(簡潔な題名の方が)

ふくらみがあっておもしろいかもしれない

これは記事のタイトルにも応用出来る、大変実用性の高いテクニックです。

 

本書で登場する言葉でもっとも多いのが三上という言葉。

三上とは中国の欧陽修が残したと言われていて馬上、枕上、厠上 を意味します。

馬上は今でいうと電車などにあたるのか

枕上は寝る前というよりかは 朝、目が覚めて起き上がるまでの間

厠はその名の通りトイレである。

本書ではこの言葉がなんども反復され、西洋の学者を例にあげて、思考の整理に最も適した場所であると言っている。

 

本題に入って、僕がこのブログを始めるきっかけとなったのは同じ、欧陽修が残した三多という言葉である

 

三多とは、看多(多くの本を読むこと)、さ多(多くの文をつくること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)

これをわかりやすく言うと

本を読み、自分に必要なものを集める それを元に文章を書く  さらにその文章をもう一度吟味し、批判をしてみる

ということだ。

そうすれば、知識を得るだけでなく、それを表現する力がつき、さらには自分の意見や考えを見つめ直し、成長させることが出来るのだ。

実に素晴らしい

書評は三多にうってつけである。

僕にはわかりやすい書評が書ける自信もないが物は試しだ やってみなくては始まらない。

僕はグライダー人間ではなく、飛行機人間となり、大空を自由に飛びたいのです。

これは翼をつける良い機会ではありませんか。

 

そんなことはさておき、本書いわく「自由にテーマを選び論文を書きなさい」と言うと、学生はひどく困惑するそうです

何せ、今までグライダーとして育てられたのですから、自分の意見や主張がないのです。

しかし今現在、というより10年代に突入してからというもの

学生は毎日のようにブログやTwitterで自由気ままに意見や考えを文章にして発信しているではありませんか。

ブログはミニ論文と言っても過言ではありませんし、Twitterはミニブログですから、ミニミニ論文とも言えます。

毎日たくさんの人がミニ論文もといミニミニ論文を書いているこの状況は喜ばしいことなのでは?

今の学生は捨てたもんじゃありませんよ、外山先生

創作の重要性

多くの人にとって、難解な事柄は退屈だ。

ドラッカーのマネジメントを読みたくはないが、もしドラは読みたがることからもそれが読み取れる。

あなたの伝えたいことが難解であるならば、それを創作に落とし込む必要があるかもしれない。

「私に創作は無理だ」と弱音を吐く人もいるだろうが、比喩も創作の一種だ。試しにやって見せよう。

わさびをそのまま食えと言われて進んで食べる人はいないが、ネタとシャリでそれを挟んでやると喜んで口にする。創作とは寿司のようなものだ

何かを伝えようとする度に難解になってしまうきらいのある言論人や思想家は、こういった創作の重要性に気付いているはずだ。

彼らにとって創作は目的ではなく手段なのだ。

彼らのように創作が手段であると自覚している場合は良いのだが、どちらとも言えない人間は思想のための創作か、創作のための思想か、という問いにぶつかるだろう。

しかし、それはあまり重要な問題ではない。

創作が手段であろうが目的であろうが、その種となる思想は溜め続けるべきであるし、言われなくともそうするだろう。

溜まった思想は熟成させ、いつの日か創作で解放してやれば良い。

創作をする時には思想が必要であるし、思想を練る動機として創作が必要な時もあるだろう。要は、持ちつ持たれつだ。

良薬は口に苦しと言わんばかりに「難解なものを努力して理解せよ」と言い放つ人もいる。

彼らは子供に薬を飲ませる時にも同じ台詞が吐けるのか。いくら効用が絶大であっても苦い物を口にしたくはないはずなのに。

本当に他人を啓蒙したいのであれば、薬をオブラートで包む手間を惜しんではならない

「頑張る気のない弱者は助ける必要があるか」に対する僕なりの答え

結論から言えば、頑張る気の有無に関係なく、弱者は助ける必要がある。

それは、「弱者がいない公平な世の中を作るため」という正義感に基づいた考えでなければ

「弱者を愛し、彼らを救済するのです」という愛に満ち満ちた考えでもない。

言うなれば、弱者救済は自由主義者の考えにも似た、僕にとっての生存戦略である。

これから書く文章を一言で言い表すならば、こうだ。

情けは人の為ならず。

弱者を助ける必要があるのは、強者に助けてもらう必要があるからだ。

必要があるという言葉はまどろっこしいので、簡潔に言い直す。

弱者を助けるのは自分のためだ。

反対に、弱者を切り捨てることは即ち、強者に自分が切り捨てられるということだ。

仮に切り捨てられたとして、独力で生きていける程度の弱者ならば問題はないだろう。

 

さきの弱者強者の定義は個人との比較によるものだった。

もし、強者の定義が切り捨てられても独力で生きていけることだとすれば、僕は弱者である。

だから怖いのだ、自分が切り捨てられるのが。

僕は独力で生きていけない弱者であるから、万が一切り捨てられた時のためにも独力で生きていけるような強者になりたい。